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ニュースで裁判員裁判制度が実施されるにあたって、検察・弁護・司法の三者の方々がともに裁判員に選ばれた人たちに対して「わかりやすさ」を重点において伝え方を変えました〜みたいなことをコメントしていて。 [あ〜世の中全体が見える化のパラダイムシフトが起きているんだな〜と]思った。 逆に今まで「わざとわかりにくくしていたんじゃないか?」ともちょっと思ったりして 多くの方々により分かりやすく物事や情報を伝える姿勢と言うのは、当社やボクが推進している情報の[見える化]世界が加速して行って歓迎すべき事なんだけど。 そのわかりやすさの影で削除されてしまった情報もたくさんなるのではないだろうか? 賛否両論あると思うけど、わかりにくい情報をわかりやすくする過程で、気をつけないと物事の本質に関わるエッセンスのようなものを容易に変えてしまうこともありえるんだ。 伝える相手と伝えたい相手の間にラホール(信頼関係)が構築されていない場合特に、まぁこんなもんだろう的な思い込みで情報を操作しやすい。 今回の裁判員裁判制度では、初回と言う事もあり十分吟味されたと思うけどこれが数を重ねることでそのギャップがどんどん広がる可能性を含んでいるかもな〜と思うんだ。 ボクの個人的意見だけど、世の中全部が分かりやすくならなければならないとは思わない。 勉強してその分かりにくい領域に切り込んで行くことも時には必要だと思うし、そこからある種の思考の熟成みたいなものが生まれるとも思うんだ。 裁判員の候補に選ばれた方の中には、独学で司法の知識を学び始めた人もいた(その方は最終的には選ばれなかった)と聞くと、その学ぼうとする姿勢をムダにしても良いのかなと思う事もあるんだ。法律と言うのは、ボクも含めて別の次元でおこなわれている遠い世界だったのが、この問題をきっかけにそこに目を向けるきっかけになるかもしれない可能性含んでいるのかもしれないよね。 ただそんな人の受け皿みたいなことは、まだ何も考えてないみたいだけど。 きっとこの制度が10年近く続いたら僕たちの捉え方は少し10年前とは違うだろうな。 わかりにくいことボクは好きです。
by tamd2
| 2009-08-06 08:42
| ジブン
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